ゴールデンウィーク後半、キャンプに行ってきました。場所は、千葉県南部の大多喜町。大多喜町は、町のキャッチコピーは「城と渓谷の町」だそうです。
大多喜町の場所は、かの有名なチーバくんのおしりのあたり、海側の隣町は、朝市で有名な勝浦です。
最近3年のキャンプは、大多喜町です。墨田から
ゴールデンウィーク後半、キャンプに行ってきました。場所は、千葉県南部の大多喜町。大多喜町は、町のキャッチコピーは「城と渓谷の町」だそうです。
大多喜町の場所は、かの有名なチーバくんのおしりのあたり、海側の隣町は、朝市で有名な勝浦です。
最近3年のキャンプは、大多喜町です。墨田から
今回のちょい旅は、滋賀県と愛知県です。一般的な地域区分では、滋賀県は関西地方、愛知県は中部地方ですが、滋賀と愛知はお隣の県になります。
1日目:東京→長浜→彦根
2日目:彦根→近江八幡→名古屋
3日目:名古屋→東京
まずは一日目は、東京駅から新幹線に乗り、滋賀県の米原に向かいます。新幹線には新橋駅からの方が乗り換えが少なく便利なのですが、東京駅で好みの駅弁を買って車窓を見ながら向かおうと思い、わざわざ東京を出発地としました。お目当ては厚岸の「氏家かきめし」。ところが、駅弁を売っているところを見つけられず、やむなくシュウマイ弁当を買ってしまった。これはこれでおいしかったのだが、因みに、各地の名物駅弁と売っているのは、東京駅改札内1階の中央通路の「駅弁屋 祭」でした。調査不足が悔やまれます。
新幹線に乗ること2時間10分。米原到着、更に在来線で10分程度で長浜へ到着、長浜では、古い町並みが残る「黒壁スクエア」を散策、骨とう品屋や、滋賀県初の学校「開智学校」、国内に現存する最古の駅舎「長浜鉄道スクエア」、フィギャアの「海洋堂ミュージアム」など、見所がたくさん。食事処は、長浜名物のっぺいうどんの「茂美志や」などを尋ねました。
黒壁スクエアの商店街で、関東ではあまり見たことがないお菓子があったのでお土産に買いました
「花あわ雪」長浜の地元のものと思いきや島根県で作られたものでした
「萬興の生姜飴」裏を見ると創業明治3年と書いてあります。お菓子なのか怪しい薬なのか不明のパッケージ、味は、機会があればお試しください。
一日目は、長浜観光から、宿泊地の彦根に移動、実は、夕方に彦根城に行こうと思っていたが、疲れを感じ、彦根城攻略は翌日にして、この日は、ホテルで自転車を借りて、、彦根の堀沿いの桜を見ながら琵琶湖の夕陽を眺めるために琵琶湖に向かいました。
二日目、彦根城に向かいます。彦根城は、井伊直政が関ケ原の合戦の功績を認められ徳川家康より、ここを井伊家の城とすることを許されたとのことで、1603年に直政の息子が今の形に整備したものが現存しているという貴重なお城です。
日本各地にお城はありますが、当時の姿をそのまま残しているお城は意外と少なく、この彦根城もその中の一つで、世界遺産登録を目指していると、町のアチコチに書いてありました。
二日目の午後は、彦根から電車で20分程の近江八幡へ移動。ここは、建築家のヴォ―リスの活動の拠点であることから、さぞかし、ヴォ―リスばかりがあるかと思いきや、いろいろな点で、自分の思い込みが打ち砕かれました。ヴォ―リス記念館は月曜が休館ということで、火曜日に訪れたのですが、現地についてみると、予約しなければ入ることはできないことを知り、玄関前で電話をし、2時間後に改めて訪れることにしました。
2時間後に訪れると、係の女性がビデオをつけてくれ、見終わると、元ヴォーリズ事務所の所員だったという恒例の男性が、ヴォーリズについてたくさんのことを語ってくれました。
まず、ヴォーリズの建築家像が、自分がおもっていたのとは違いました。ヴォ―リスが日本で相談にのった建築は3000を超える数だったとのことですが、一建築課がこれほどの数のプロジェクトにかかわることがまずもって、難しいということもありますが、ヴォ―リスはそれほど建築の勉強をしていたわけではなく、アメリカの大学で少しは勉強したようですが、途中で、地元のYMCAの活動を通してキリスト教の布教に関心を持ち、建築の勉強を辞め日本に来たようです。つまり、建築の勉強を最後までやったわけでもなく、どこかの事務所で修行したわけでもないのです。
では、何故、そのようなヴォ―リスが、国内にこれほどまでも設計事例を残せたのか?実際の設計事務所での役割は詳しくはわかりませんが、30~40人ほどのスタッフが、ヴォ―リスがアメリカから取り寄せた書物などを見ながら図面を書いて、金物やパーツを取り寄せ実現していったのではないでしょうか?
ヴォーリズは、交渉力に長け、人の信頼を得るのが得意だったようで、あらゆる場面で、クライアントやビジネス上のパートナー、私生活上の重要な関係者と信頼関係を積み上げていたようです。そういった意味では、きわめて優秀な建築家だったのかもしれません。これは、自分にとっても目からうろこなお話を聞かせていただいたと思います。
さて、改めてヴォーリズ記念館に来るまでの2時間、近江八幡を散策することになりましたが、実は、近江八幡は、一般の人にとってはヴォーリズよりも、水路の町として超有名な観光地であることを、恥ずかしいですが、2時間の散策の1時間を経過した時に初めて知りました。
近江八幡は豊臣秀吉の甥(秀吉の姉の長男)豊臣秀次が築いた城下町で、いわゆる近江商人の発祥の地です。
近世の風情が残る八幡堀沿いの町並みや日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)境内地は近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区として、国の重要伝統的建造物保存地区に選定されmした。
また、堀の景観とは別に、水郷地域は景観法の景観計画地域の適用第1号に指定され、2006年には「近江八幡の水郷」として重要文化的景観の第1号に選定されました。
八幡堀について
因みな話、たねやは、建築も面白いです。近江八幡の別の店舗「La collina 2017」時間があったら行ってみたかったです。
名古屋駅からタクシーに乗って久屋栄通公園へ、札幌の大通り公園と似ているイメージから、地下鉄で一駅くらいかと思いタクシーに乗ったが、意外と距離がありました。地下鉄の駅で2つ分(ちなみに札幌駅から大通公園は地下鉄で一駅)。タクシーの運転手さんに「オアシス21まで」と伝えると、「お客さん地元の人じゃにゃーわな?」「どうして?」「地元の人はオアシスなんていかんよ」とのこと。喋っていると河村市長と話しているような気分になる運転手さんでした。降りるとき5000縁を出したら、お釣りを8,600円くれるような気の良い方でした
2023.2.5〜2023.2.7
毎年恒例のスキー合宿、今年も行ってきました。去年は、今まで10回以上行っているたかつえスキー場ではなく。裏磐梯のグランデコスキーリゾートへ行ってきました。ここは東急グループが運営するスキー場で、東急ホテルがゲレンデに隣接して建っている。コースの長さは最長で4000m、標高差は1010mから1590mと、580mである。
スキー場は、どこに行くかは毎年悩むところである。我が家のある墨田区だと東武線を使って会津方面というのが常だった。東武線が会津の野岩鉄道(やがんてつどう)に乗り入れているため、北千住で特急リバティに乗り換えると会津尾瀬登山口まで乗り換えなしで着くと、駅に迎えにきているシャトルバスに予約なしで乗ってすぐスキー場なのである。今回、期せずして、今まで行っていたたかつえスキー場の良かった点ばかりが見えてきて、道中、たかつえを懐かしむ話ばかりしていた。
まずは、家を出て、近くのバス停に迎う、乗り換えなしで上野駅まで行けるのと、朝早いため、朝食を上野のかっこ「つるや」で食べるためである。上野駅のバス停で降りると、歩いて20秒のところにつるやがある。
つるやで朝食をすますと、横断歩道を渡るともうすぐ上野駅である。上野駅は、東北へとつながるターミナル駅である。列車の発着点となっており列車が行き止まり式のホーム「東端式(とうたんしき)ホーム」があるのが特徴である。欧米の大都市では各方面に向かうターミナル駅があるが、東京にはあまり見られない。上野が数少ないターミナル駅の様子を残しているのがこの中央改札になるだろうか?写真の改札を抜けると東北方面の行き止まり式のホームが並んでいる。私が学生の頃は帰省の際は、ここから急行八甲田に乗って青森に向かったのを思い出す。頭の中には「上野発の夜行列車降りた時から~♪」の歌が繰り返す。
東端式ホームは多くの線路を囲うように大空間を有していることから、コンコースは広く天井が高いことが多い、そのため、建築的にも魅力的な大空間となる。パリのオルセー美術館などは、1900年のパリ万博の開催にあわせて建設されたターミナル駅であったものを美術館として再利用している
7:45上野発の新幹線にのり郡山までの1時間11分はあっという間に感じられるのは、新幹線好きの世代だからだろうか?
郡山で在来線に乗りかえる。郡山はほとんど雪はなかったが、山側へ列車が進むにつれ積雪が増え、ふと外を見るとすっかり雪国になっている。44分でJR猪苗代駅に到着。
JR猪苗代駅には、野口英世の等身大のパネルがあった。野口英世は、近くの猪苗代町出身の誰もが知る偉人であるが、実際何をやったかは、私自身良く知らなかった。子供のころ黄熱病の研究をした医者ということだったと記憶しているが、黄熱病に関する研究は間違いであったことが現代では定説らしい、ただ、細菌学者としては数多くの実績があり、ノベール賞に3度もノミネートされた偉人であることには変わらないようである。
偉人と一緒に写真を撮ると自分も偉人になれるのではという、わずかばかりの希望をもって自撮りです。
さて、猪苗代駅からスキー場からのシャトルバルに乗ること30分程で、目的のスキー場グランデコスノーリゾートに到着。ここは、開業が1992年、まさにバブル真っ盛りの時に計画され完成したスキーリゾートなのでしょう。わが国の多くの施設がバブルの時の遺産であることを実感します。いい意味で。
バブル時に計画的につくられたスキー場であることから、来訪者を迎えるセンターハウスがゲートとなっている。野沢温泉のように様々な施設が建って賑わいがあるスキー場とは対照的です。
スキー場は、吾妻連峰の西端に位置する標高1982mの西大巓(にしだいてん)の南側山麓に広がる。ゴンドラが1本、クワッドリフトが4本のスキー場である。ゴンドラとクワッドリフトを乗りついで山頂まで行くと、約4000mのロングコースが楽しむことができる。
一日目は、滑りはじめが12時頃、リフト終了までの16時まで、間に食事をして4時間滑りました。今年のスノボ合宿一日目は去年の勘を取り戻すように滑りました。
スキー場お楽しみの一つが食事なのだが、楽しみでもあり、ガッカリでもある。スキー場でも海水浴でも遊びに行った先の食事はいろんな意味で、がっかりさせられることが多い。だがしかし、ここの料理の質は高かった。同時にお値段も高かったのだが、、、一日目は地元喜多方ラーメンの名店が監修したという喜多方ラーメン1000円なり。やる気のないパートさんのやる気のない湯切りが印象的であった。
さあ一日目を足慣らしでまったり過ごし、ホテルへ向かうのだが、これがややこしい、ここからまた、バスでホテルに移動しなければならないのだ。たかつえの時は、ゲレンデ直結でホテルだったのだが、このスキー場に直結するホテルは裏磐梯グランデコ東急ホテルのみ、今回申し込んだビッグホリデーのツアーの宿泊は違うホテルであった。この立地を事前に理解していれば、こちらのホテルの方が断然便利である。しかも宿泊期間中リフト券付き、ゴンドラも優先乗車とのこと、さすが東急!「東急による東急のための東急のスキーリゾート」であると言えよう。
我々の宿泊は裏磐梯レイクリゾートホテル。こちらも予約サイトではすこぶる高級感、高揚感が上がる写真が出ていたため、つい予約してしまった。500円/人のバスに乗り、こじんまりしたペンションや廃ホテル、外壁の汚れから古さを感じるホテルなどを眺めながら40分。実際に到着してみると、いきなり今までの建物群とは趣の違う建物が出現したではないか!
外観は、エントランス部分が奥にあり、その両翼の客室部分は手前になってるので、正面から見ると、エントランスに向かって消失点があるようにパースが利いている。通常の建物は、正面から両脇に消失点があるのとは反対なので妙な感じがする、10年ほど前の夏にこの辺りに車で来た時に見かけたことを思い出した。
今回一緒に来た14歳の三男がまだ一歳程度だったので、もう12年以上前になる。その割には、あまり古い感じがしないのは、しっかり管理されていることと、寒冷地における設計がしっかりしていいることもあるのだろう。
裏磐梯は、福島県北部にある磐梯山、安達太良山、吾妻山に囲まれた高原で、山や森、湖など自然に恵まれたエリアで、春は桜や新緑、夏は避暑、秋は紅葉、冬はスキーリゾートと季節ごとに多くのアクティビティを楽しめる地域であることから、リゾートホテルやペンションが多数立地している。
部屋は間口もゆったり取られており、窓下に温風の吹き出し口があり、寒さを感じずに快適に過ごすことができた。こういう空間は、デザインももちろん、空調や断熱への配慮があることが大切である。そのおかげが、結露やカビなどの跡も見られずキレイであった。
食事は朝夕ともバイキング。
このホテル自体は、やはりバブルの時に開業したホテルであったが、そののち何度かの経営権の移転を繰り返し、2015年には「星野リゾート裏磐梯ホテル」から現在の「裏磐梯レイクリゾート」としてリニューアルし、現在は株式会社ベルーナ(本社:埼玉県上尾市)の子会社ネコマホテル株式会社が運営している。客室数324室の裏磐梯エリア最大級のホテルである。
ホテル宿泊のもう一つの楽しみは温泉。日本には温泉があるから日本人で良かったとさえ思う。円弧上の浴室は窓の外に湖が見える。季節は冬であったので、大きな屋根の軒先には立派なつららがびっしりできていた。設計者はつららができるように設計しているのではないかと思うほどの立派なつららであった。露天風呂もすこぶる心地よかったが写真を撮ることはできなかった。
ホテルのでは、他にもビリヤード、バー、カラオケ、卓球などが楽しむことができる。
ホテルで英気を養って翌日は、朝から最終まで滑りました。ただ、ホテルからスキー場に向かうバスは8:00発と10:15の二本のみ、中間の瓶が欲しいところであるが、この二便さえ、今後あるかどうか疑わしい。なぜなら、このバス、利用客がほぼいない、10:15の便に乗ったが、我々の他に乗客はいない。大型バスのを乗っ取ったような不思議な感覚だった。合計4回乗った内2回が占拠状態であった。
2023年正月。2日から一泊二日で栃木県北部の秘湯、湯西川温泉を訪ねました。
ここは、以前から気になっていたところ。というのも、10年ほど前から会津方面にスキーに行く途中、トンネルの中に湯西川温泉駅があって、そのトンネルの中の駅で多くの人が乗り降りするのです。地上の様子がわからない地中で人が乗り降りするという不思議な記憶が、湯西川温泉への興味の始まりです
人づてに、そこは、秘湯であるとか、平家落人の集落であるとか聞くに及び、俗世離れした謎の地をいつかは見てみたいとの気持ちが募っていたのです
今回は、鉄道ではなく、車で向かうことにしました。現地では雪が積もっているようなので雪道対策を考えなければなりません。雪道対策は、スタッドレスタイヤかチェーンの二択ですが、手軽さとコストを考え、今回はチェーンを使うことにしました。
チェーンは文字通り本来は金属製のチェーンをタイヤに巻き付けるものなのですが、ネットで調べると、最近はチェーンにも色々なタイプがあるようで、ゴムのネットのようなもの、繊維をタイヤに巻き付けるものなど、装着しやすさ、効き目などの付加価値をうたったチェーン以外のチェーンがたくさん紹介されています。でもそこは欲張らず廉価で尚且つ、よく効くものをチョイス、亀甲型の金属製チェーンを買うことにしました。
次に、近所のオートバックスに在庫状況を聞くと、在庫ありとのこと、値段を聞くと15000円程でした。念のためにネットで検索すると、亀甲型のの金属製チェーンは4600円。迷わず、Amazonで購入。タイヤサイズとチェーンの適合についてはメーカーの適合表を確認。これで、足は確保できました。
行きは、東北自動車道を通り、佐野サービスエリアで昼食、13時を回っていたのでピークは過ぎているかなと思い遅めの昼食をとるべくSAの建屋に入ると行列ができています。20分ほど並んで、やはりここは佐野ラーメンかなと思い佐野ラーメンを食べました。初めての佐野ラーメン、あっさりとしたスープに縮れた平らな麺、太くてかみごたえのあるシナチク、厚めのチャーシュー830円也。とてもおいしかったです。
それからも渋滞らしい渋滞は無く、佐野ラーメンの券売機に並ぶのが唯一の渋滞でした
ナビに案内されるまま、鬼怒川温泉郷の裏側のバイパスを通り登っていくと、前面に雪が付いている対向車と何台かすれ違う。ちらほらと雪も舞い始め、ヒヤヒヤしながら車を走らせる。急遽、チェーン装着所というスペースに車を停め、チェーンを装着。5分程度で装着して再出発。チェーンを付けているのであまりスピードを上げずに40kmほどで走る。段々と雪が激しく降ってきて恐々と運転すること小一時間、いくつものトンネルを抜け湯西川に到着した頃にはすっかり雪景色。完全なる雪国に来てしまいました。
温泉街に入ってすぐのところにある「白雲の宿山城屋」が、今回泊まる宿になります。正面から見ると鉄筋コンクリート4階建の建物、築年数は40年位に見えます。
ロビーに入って正面は、川を挟んで向こう側の山肌が目に飛び込んでくる。山の斜面の樹木の枝には雪が積もり、ほんの4時間前に東京にいたことが不思議に感じられます。ロビーがある階は3階となっていて、浴室と宴会場が入り口のある階より下にあることから、渓谷に向かって建てられていることがわかります。
年配の男性によるチェックインを済まし、ベトナム人らしき若い女性に案内され部屋に入りました。チェックインをしてから部屋に案内してくれるスタッフを中居さんと言うが、以前であれば、日本人の女性が担っていた役割だったと思うが、近年は
部屋の空気は、強力な暖房が効いており暖かかった。部屋の窓からも川を挟んだ向かいの山が間近にあります。縁側の椅子に座ると、渓谷越しに隣の宿が見え、自然の中にある人里の温もりを感じます。
夕食の前に、温泉街をぶらりと歩くと元日の2日だというのに酒屋が空いていました。しんしんと雪が降る中に店の光が通りを照らす様子は、照明の色が赤っぽいせいか温かく見えます。
地元のどぶろくを買って部屋に戻り、浴場へ。
浴場には、自分達以外誰も居らず広い浴場を独り占め、施設全体が古いせいか、ところどころタイルが剥がれていたり、配管が剥き出しだったりします。しかし、これも奥深い秘湯の小道具であると思えば納得です。
さて、待望の露天風呂、ドアを開けると下へ降る石段。その向こうを見ると、秘湯感たっぷりの湯殿が待っていました。
体も温まり、次の楽しみは夕食、ここ湯西川の宿では、囲炉裏で夕食を食べるスタイルが多いようで、今回泊った
朝食はバイキング形式となっている。正月だったので、栗きんとんや昆布巻きなどのおせち料理があったが、大体は、田舎の感じの料理がメインである。秘湯のイメージにはあっていると思う。
ホテルや旅館の窓側にある用途不明の空間ありますよね。二人で向かい合うように椅子と小さなテーブル、外部に着いた窓と畳の部屋側の障子に挟まれた空間。
この空間なんて呼ぶのでしょうか? 外部と内部の間にあるバッファー空間ではあるのですが、日本建築的な名称を付けるにしても、床面には安っぽいじゅうたんが敷いてあるので、縁側という言葉が適当とも思えない。あるサイトに「広縁」と紹介されていますが、はたして真偽のほどは別としてとりあえず広縁としておきましょう。
さて、ここの広縁、窓側にあるためか、すこぶる寒い。雪のない季節であれば丁度良いのかもしれないが、どうも、外壁は厚さや堅さから推測するに断熱材も入っていないようである。それに加え、サッシはアルミサッシは結露し、ガラス部分はシングルガラスのため激しく結露を起こし、もはや純粋製造装置と化している。床の外壁付近は当然結露を起こししっとり濡れている。いくら平家落人の隠れ家とはいえ、鉄筋コンクリート製の建物を作る職人までが、落ちぶれた人間だったとは思えない。設計者の無知、施工管理者の怠慢であろう。
因みに気密性が高いはずのアルミサッシは枠と商事部に1cmほどの隙間があるから驚いた。
翌日は、少し観光めいたものをしようかと、ホテルのすぐ近くの平家落人民俗資料館を訪れた。驚いたが、全くの民間の資料館であり、受付の小窓の奥には家の居間であり、ここで暮らしている老婆が一人で入場者を管理している。入館料500円也を支払い中に入ると、写真撮影禁止となっている。
展示物は、脈略もなく様々なものが展示されている。当時の刀や鎧など平家の落人が使っていたらしい武具や馬に乗る際の鐙、平のなんだかが「使っていたと言われる」木製の硯等、どれも学術的な検証は定かではなく、真偽の程は皆目見当もつかない。
さらに、古い農具やスズメバチの巣など平家とは全く関係のないものも展示されている。近所の人から集めた珍しいものをなんでも展示しているという趣である。多少秘宝館の雰囲気を感じるような資料館であった。
この地域の独自の風習として、こいのぼりを揚げない、焚火をしない、犬や鶏など鳴き声を上げる動物を飼わないなど、外部に自分たちの存在を知られないことなどがある。
今回は、これで帰ろうと思い、隠れ家的温泉街から出ようと車で雪道を走り始めたが、なんだかやり残した感があり、もう一度平家の隠れ家的雰囲気に触れたくて、車をUターン。少し走ると。発見!
平家集落とあるではないか!こんなところに平家の集落があるとは、是非見ておかなければと思い。脇道に入り車を止めて、探索を開始した。
川が流れる谷のくぼ地に家が何件か建っている。勾配の急な寄棟の大きな屋根がいくつか見える。車を停めて、雪道を歩くと家と家の間の隙間に人が一人通れるくらいの道がある。雪が踏み固められているということは、人の流れがあるということ、臆せず進む。
平家集落を見下ろす小高いところにある慈光寺。壇ノ浦の戦いに敗れ、僻地に隠遁した平家落人の菩提寺として知られる寺とのこと
東北自動車道を東京に向かう途中。羽生パーキングエリアに寄る。このパーキングエリアは池波正太郎の鬼平犯科帳とコラボをしてつくられた江戸風情を再現したテーマパークのような施設になっている。
次男が頼んだのは五鉄の「一本うどん」という食べ物。ここの店を始める際に試行錯誤して開発した名物だそう。記念に写真を撮ってやろうと思い、次男に箸で持ち上げるよう伝え、少しづつ持ち上げ、「もう少し持ち上げて」と、言って一番持ち上げた時に、箸からうどんが滑り落ちた。今までで一番飛び跳ねたうどんを目の前にして、しばらくは、テーブルを拭く作業が続いた。
都内の街歩きも楽しいですよね。神楽坂は、それほど派手ではないですが、古い東京の山の手の街の雰囲気が残っているところです。
JR飯田橋の西口から出てると、視界が開け気持ちの良く視界が抜けます。ここ飯田橋駅は、外堀り沿いの江戸城側に位置しているため、外堀の外側に向かって視界が開けているのかもしれません。
神楽坂は、駅を出て右側に向かうと、堀のレベルまで下がり、北に登ると坂道が神楽坂になります。振り返って飯田橋駅駅を見ると、高い壁のようなビルが建っていますが、これは、外堀を埋めてできたビル「ラムラ」になります。
さて、外堀通りを渡って、まもなく上り坂になります。休日(勤労感謝の日)なので歩行者天国になってました。
右手に甘味処「紀の善」を見て坂を登ると、賑やかな店が続きます。店頭にも商品が並んだ陶器屋に目が止まります。
坂道にある店って風情を感じます、
時間はもう午後1時を過ぎているので、この先の街歩きに備えて、お昼にします。メインの神楽坂から進行方向を左に曲がり、歩いていると、出汁のいい香り、香りと看板を頼りに狭く、階段のある路地を登ると、坂道の途中に「鳥茶屋別邸」。趣のある入り口から中を覗くと、意外に広い。丁度満席のようでしたが、ゆったりとした待合スペースで待つこと5分、カウンターに案内していただく。
今日は、勤労感謝の日、普段勤労している自分に感謝を込めてビールを注文。話はそれますが、勤労感謝の日って、何に感謝するのでしょうか?勤労している人にですか、それとも勤労そのものにですか?いつか、わかる日が来るでしょうが、ひとまずビールです。
さて、何を食べようか?ここのおすすめは、うどんすき、とのことですが、うどんすきは、未経験なので、親子御膳、1560円にしてみました。
親子丼、美味しかったです。出汁が効いていて玉子もトロッと柔らかく優しい感じでした。付け合せのタラの煮物と大根もしっかり出汁が効いています。
しっかり食べて、ビールもいただき、心とお腹の満腹感を感じながら神楽坂のメインストリートに戻ります。
少し坂道を登ると、左手に毘沙門天現れてきます。ちなみに神楽坂界隈は、夏目漱石が、生まれ育ったあたりで、かの坊っちゃんにも、毘沙門天の縁日で坊っちゃんが釣りをしたという話がが出てきます。
毘沙門天とは、このお寺善國寺(ぜんこくじ)に祀られている神様のことで、江戸の3大毘沙門天の一つであり、新宿山ノ手七福神の一つだそうで、とにかく、有名なお寺です。
そして、更に進み、右手に少し入ると、今度は赤城神社(あかぎじんじゃ)が現れます。神社というと、古い木造の建物などを想像しますが、こちらは、鉄とガラスとコンクリート製です。しかも、かなりシャープなデザイン。設計者は隈研吾さん。
鳥居をくぐると、まずは、手水舎(ちょうずしゃ)。柱が二本の、鉄骨造でシンプルにデザインされています。
鳥居と拝殿の間には、フリーマーケットが行われていて、とても進歩的な神社です。
階段を上がると、小高い丘のように視界が開け、左側に舞台、正面に拝殿、右側には共同住宅が配置されています。
それぞれのデザインは、拝殿と舞台の形態は日本の神社の形態ですが、素材は、鉄とガラスと木を使っていて隈研吾さんらしい現代の素材で伝統的な空間をつくる隈研吾さんらしい世界となっています。右手の共同住宅は5階建てで、定期借家で販売しているとのことです。
こういった事業のスキームについては、三井不動産が、事業計画を建てているようですね。素晴らしい仕事だと思います。
もう少し先の、やはり隈研吾さん設計の「ラカグ」へ向かいました。元々は新潮社の倉庫を2014年にリフォームして、雑貨や家具、本などを扱う商業施設として賑わっていました。2019年に「アコメヤ」に業態変化しています。
建物は、2014にリフォームしたまま、交差点から木デッキでつながるアプローチと、スレートの外壁からなる建物はそのままです。
神楽坂は、都心の商店街ながら、大手の店舗よりも地場の店が存在感を示す魅力的な街です。こういった商店街を守るためには、地元の商店街の方々の努力があったことと思います。ここの商店街は、商店街としてビル建て、そのビルの最上階に事務所を構えています。
盛りだくさんの神楽坂。個性的な店がたくさんあります。
帰りは、大江戸線の飯田橋駅から帰りました。ここは、渡辺誠さん設計。できた当時は、脱構築主義と言われた表現手法だったような、デコン(デ・コンストラクション)とも言われていたような記憶があります。今となっては、そういう事もあったなと懐かしいです。
2021.11.23
10000歩 5時間
かなや設計 環境建築家 金谷直政
秋というよりも冬の入り口の休日、前から見てみたいと思っていたジョンソンタウンに行ってみました。
ジョンソンタウンとは、旧米軍ジョンソン基地にあった住宅をそのまま残して賃貸住宅にしている街です。
同じ形の平屋の木造住宅が多く残る地域で、外壁は下見板張りに白っぽいペンキを塗ったものがオリジナルかと思いますが、比較的新しい建材を使って下見板張り風にしている建物もみられます。
平屋の切り妻屋根の外観で連続性を出し統一感を持たせているものや、下見板を使うことで調和を持たせているものなど、外観にはある程度、意匠上の幅はありますが、イメージとしては、アメリカの郊外に建つ庶民の家という感じが、とても懐かしくもあり、心地よいです。
住宅として使われている建物がある一方、かなりの建物が、雑貨屋、アクセサリーショップ、家具屋、古本屋、セレクトショップ、エスニック料理、ハワイ料理、バーなど、アメリカっぽい(?)イメージの店がいくつも営業しています。中には餃子屋や、カレー屋、中華雑貨などアジアンな店もありました。地図を載せてます。番号が付いているところが店舗のようです。
どんなだろう?という、はやる気持ちを抑え、まずは、地図で全体像を頭に入れ、町の規模感をつかんでまち歩き開始します。目に心地よく映る景色は、やはり、同じような外観の平屋のシルエット。屋根の勾配が揃っていて、軒も低いため親しみを感じます。
単純な平屋の外観にも関わらず、豊かな感じを受けるのは、たぶん、バルコニーなどの室内と屋外の中間的なスペースが通りに向けて用意されているからなのでしょう。こういうトコロに住人達が思い思いに、緑や家具を置くと、街並みに一気に表情が出てきます。建物を使っている人の性格や人柄が伝わってくるから不思議ですね。
例えば、植えている植物一つとっても、鮮やかな花の色や、大柄な葉っぱの雰囲気になんだかアメリカンを感じます。これが東京の下町であれば、小さな花や野草のような緑を愛でていていて和のテイストになってきます。
軒先を飾る緑を通して、建物に住む人の性格があらわれる気がします。
さて、建物一つ一つの表情もさることながら、ここが魅力的な理由の一つは、塀がないことではないでしょうか?塀がないことで、家と家の間が単なる家のスキマではなく、通り抜けの空間になってきます。通り抜けの空間になることで、裏とか表とかがなくなり、裏も表も手入れされた街の一部になってきます。
↑建物と建物のスキマにわずかな歩行スペースがあります。ほんと人が1人やっと歩くくらいの幅しかないですが、楽しげな歩行空間になっています。もう少し近づいてみると、ちょっとした置物などがあり、楽しげな雰囲気を感じます。
建物と建物の間のスキマ。こう言う場所が面白い!道路に面する側は、その家の正面、外向きの顔ですが、建物と建物のスキマは、正面とは違う、お隣さんとの壁の間に生じたプライベートな場所になります。食事をする場所があったり静かに寛ぐ場所があったり、しています。下の写真では、右側の家の寛ぎ空間が見えます。左側の家はこちら側の壁にはほとんど窓がないことから、ここのスキマは、右側の家のためにあるようです。
ちょい旅では、食べ物を食べるのも楽しみの一つ。アメリカンな雰囲気の中で食べるランチはどんなものが良いかな?と、迷うのも、また楽しいです。テラス席がある気持ちの良いお店、ハワイ風の食事をだすお店、個性のある街は食事をするところも個性的なお店ばかり。
入ったのは、こんなお店。天井は屋根の裏がそのまま天井になっており、広がりがあって心地よい感じです。もちろん米軍住宅だけあって、小屋組はトラス構造となっています。トラス全体が合成梁になっているため、部材一つ一つは細い材料を使っています。壁の構造は見えませんでしたが、ツーバイフォーなのでしょうか?
頼んだのはメキシカンプレート。ドリンク付きで`1320円でした。ボリュームたっぷりで、おいしかったです。
お腹を満たしたところで、また街歩き、いろんな店を覗いてみます。下の写真からの店は、カリモクの家具を扱っているインテリアのセレクトショップ。カリモクブランドの普遍的なデザインの椅子が並んでいます。座ると流石、カリモクの家具、無駄のないフォルムなのに心地よく体を支えてくれます。「欲しいな〜」という気持ちはさておき、天井は先程、お昼を食べたお店と同様、屋根がそのまま天井になっています。仕上げは、合板のナチュラルな木のイメージで仕上げられています。シンプルな内部空間と、シンプルなカリモクの家具のフォルムがシンクロして心地よいです。
その他、さまざまな雑貨店などをみて、帰路につきます。帰り道の道すがら、気持ちのよい外部空間を見つけたので、ご覧ください。
かなや設計 環境建築家 金谷直政
2021.11.21 車で往復 160km 8時間
久しぶりにセローに跨り、遠出をしてみました。遠出といっても、お隣の千葉県ですが、
ただ、最近は全くセローで出かけていなかったので、リハビリ的なツーリングという気持ちで、ソフトに、マイルドに、優しい気持ちで行き先をを決めてみました。
鹿野山は、房総三山の一つとのことで、山頂からは、東京湾、富士山、三浦半島、富津岬、九十九谷(くじゅうくたに)が見えると、ネットでの事前情報を見たので、そんなに素晴らしい眺望が千葉にあるなんて、これは是非、行ってみなければと思い、ささっと準備をして千葉へと向かった。
スマホがフル充電ではなかったことが、気がかりでしたが、10時半頃出発しました。
行きは渋滞もなく、スムーズにセローをはしらせます。目的地に近づくにつれ、道幅が狭くなり、道路のセンターラインもない道を走ると、竹林が道路にはみ出したかと思うと、舗装も途切れ途切れの山道になったりと、気持ちの良い田舎道が続きます。
適度な悪路は、セローにとってのおもてなしのようなもの。心地よい鼓動を感じながら、進むと目的地に到着。
九十九谷展望公園からの景色は、折り重なるように続く緩やかな山の頂が見渡すことができる絶景でした。なんでも、かの有名な東山魁夷の出世作となる絵は、ここから見た景色だそうな!
バイクで訪れる人がちょくちょくあり、自分もその中の1人なのだと安心するような感覚を感じ、展望台を後にしました。
時間は12時を過ぎているので、お昼ご飯を食べようと向ったのは、田舎レストランじんべい、グーグルでは星4.2。
到着すると、田舎の農道の奥の立地ながら、沢山の車が停まっている。名前を書いて待つこと30分、ようやく着席し、オーダーをし。さらに待つこと30分、ようやく食べ始める。
後で、ホームページを見てわかったけど、今年に入って2度テレビに出ていたみたい。どうりで混んでいたわけです。そういえば、隣に座った男女の2人組が「テレビで映っていたのはどれ?」とか言っていました。
海鮮丼アジフライセット1680円(税抜き)!美味しくいただきました。
そのあと、小糸川温泉へ。茶色い色をしたお湯が特徴の温泉。日帰り入浴料800円。浴室は、それほど広くはなくて、カランも2箇所のこじんまりした温泉。湯船は暑くもなく、ぬるくもなくちょうど良い湯加減。窓から外をのぞくと、ススキがゆらゆらと風情のあるけしき。
ここで一句、
小糸川 ススキがゆれる 露天風呂
お湯は茶色くて、入るとぬるぬるとする特徴的なお湯。カランからも同じお湯が出ているせいか、洗い場の白い椅子に茶色い液体が付いていて、誰かのおもらしかと思いギョッとしてしまった。千葉では、こういった温泉が多いようだ。以前養老温泉に行った時も確か、こんな温泉だったような気がする。
ここは、立ち寄り湯と食事を出すだけの施設。湯上りの休憩スペースは、座敷とテーブルのスペースにそれぞれ座卓とテーブルが5つづつゆったりとおいてあります。座敷のスペースには、地元と思しきお母さまが3人地元の言葉で話をしている。声の大きい奥様が横になりながら話続て聞き役の一人で延々と話をし、もう一人は黙って聞いている平和な時間。
その他、2組くらいがのんびりと寛いでいてとても気持ちの良い時間が流れています。帰りのことを気にしなければ自分も、のんびりしてしまいそう。
帰りの時間もあるので後ろ髪をひかれながらセローにまたがり、家路につきます。途中、市原サービスエリアに立ち寄り、お土産に巨大なちくわを買い、無料の温かいお茶を飲んでふと見ると、「当店限定、勝浦タンタンメンバーガー550円」なるものを発見。こちらもお土産に購入。
さて、ココからの帰り道は、いつもは車だと、渋滞して大変。だけど今日はバイク、しかもハンドル切れ角がたっぷりのセロー!車の間をスイスイと進む。渋滞している中、大体40~50キロで東京へ向かう。
往きも還りも順調な道のりであったが、ココで思わぬことが起こってしまった!
出かけるとき、スマホの充電が少なかったことが気になっていたが、やはり、ここにきて充電が切れた。いつもは車でナビがナビしてくれるので、道に迷うことはほぼないのだが、バイクはスマホをタンクバックに入れ、グーグルマップで方向を確認していたのだが、そのグーグル様がお亡くなりになって、おじさんが独り立ちしなければならない状況になってしまった。
案の定、高速の分岐を間違え、何故か外環自動車道へ向かう方に行ってしまった。高速を降りて、周りの車で足立ナンバーが居ればその車についていこうと思い、見てみると京都ナンバーだったりして、「京都なら、ココから見れば東京方面かな?」と思いつつ、これは役に立たないなと思い。標識を頼りにまた、高速に戻り何とか四ツ木インターに到着。
家に着いて、お風呂にバブを入れてホッとしました。
走行距離220km。時間8時間でした。
2021.11.14