京島の震災シミュレーション

もし、関東大震災級の地震が起こったら、京島はどうなるのでしょう?

前回のブログでは、現代のける都市の直下型地震ということから、阪神・淡路大震災を参考に、約8割(83%)の人が頭部損傷・内臓損傷・頚部損傷・窒息・外相性ショック等で死ぬだろうと考えられます。

つまりほとんどの人が建物や家具の下敷きとなって亡くなるようです。震災のイメージとして、関東大震災において多くの人が焼死したことや、阪神・淡路大震災の際の映像で木造の建物が燃えていた映像を見た記憶から、火災による焼死のイメージが大きいかもしれませんが、現代の都市部においては震災時の死因のほとんどは、建物や家具の下敷きになって死ぬことになります。

2階建ての建物と、3階建ての建物の場合の倒壊の様子がわかる映像がありますので、ご覧ください。

これは、神戸のEディフェンスという政府の実験施設において、大きな床の上に実際の建物を再現し、巨大地震と同じ揺れを再現した実験になります。

2階床に押しつぶされる?!

まずは、2階建ての建物の倒壊の様子です。この映像の右側の建物が、昭和56年以前の基準で建てられた建物です。左は、同じ建物を若干補強したものになります。

この映像を見て、自分が1階にいた時のことを想像してみてください。1階部分が、あっという間に崩れています。「地震が来たら机やテーブルの下に入りなさい」と言われ、そのように行動したとしても机の上に建物の2階部分が崩れてきて、もろともに押しつぶされることになってしまいます。

逃げる間もなく、建物の下敷きになってしまいます。運よく頭部の損傷を免れ一命をとりとめていた場合でも、胸部が圧迫され呼吸ができなく次第に窒息死すると言われています。

また、窒息しなかった場合でも、救助に来てくれる人がいるとは限りません。あちこちで倒壊した建物に阻まれ救助隊はなかなか来てくれないでしょうし、他の場所でも同じように救助を待つ人の救助の順番を待たなければ助けてもらうことはできないのです。

そうこうしているうちに、震災後に発生した火災による炎がせまり、焼死することになるのです。阪神・淡路大震災の際には、死者行方不明者6434名のうち12.8%が焼死と言われています。約800人の方はそのようにして亡くなったのでしょう。

3階建ての場合の実験も行っていますので、ご覧ください。

やはり、1階がつぶれています。地面に対して2階の床が平行に迫ってくるので1階と2階の床に挟まれて挟まれると想像できるでしょう。

災害の被害が想定できれば、その対策は、どうすれば良いのでしょうか?

有効な方法の一つは、建物の耐震性を高めることです。Eディフェンスの実験で崩れている建物は、耐震性が弱いから崩れているのです。

安心な耐震レベルは耐震等級2か3!

では、どの程度の耐震性であれば安全なのでしょうか?一応安全と言われているのは、現行の建築基準法のレベルと言えますが、これは耐震等級1というレベルです。

しかし、熊本地震では、このレベルの建物でも倒壊しています。たとえ倒壊しなかったとしても、大破や中破など大きな被害を受けている事例は多く、その後住み続けることは困難になっています。

必要な耐震のレベルは耐震等級2、本当に安心なのは耐震等級3になります。

かなや設計 環境建築家 金谷直政

2021.11.13

大きな地震の際の死因は?

地震が起きた時に、どのような理由で死に至るか、想像したことがあるでしょうか。イメージとしては、地震が起きて建物の下敷きになり死ぬ。というものではないでしょうか。

私もそうでしたが、こういうイメージを持たれる方が多いと思います。しかし、実際の地震のときの死因は、そうとばかりとは言えないようです。

記録が残っている震災での調査結果によると、

東日本大震災では溺死が92%、圧死・損傷死等が4%

関東大震災では火災による死者が87%、住宅全壊による死者が10%

阪神・淡路大震災では建物倒壊による頭部損傷・内臓損傷・頸部損傷・窒息・外傷性ショック等が83%、焼死が12%

です。

大震災による犠牲者の死因割合(東北大学災害科学国際研究所)

この調査結果によると、地震によって、主な死因は全く違っていることがわかります。

阪神・淡路大震災と関東大震災はいづれも都市型の直下型の地震ですが、主な死因が違っています。これは、震災時の建物や町の違いによるものと考えられます。関東大震災の頃は、まだ平屋の木造建物が多いため建物が崩れて圧死することは少なく、火災により亡くなった方が多かったようです。当時多くの死者が出た東京の下町エリアでは、火から逃げるように広場に集まり、その広場に集った荷物や人が燃えることで多くの死者が出たと言われています。今は、震災による慰霊堂がある両国の横網公園では43,000人が避難して38,000人が焼け死んだと言われています。

京島で大地震が起きた場合の死因は?

私が住む、東京の典型的な下町地域である墨田区の京島地区は、木密地域と言われ、未だに木造建物が密集して残る地域です。

この地域は、関東大震災の時にも東京の大空襲の時も奇跡的に焼けなかった地域であることから、大正末期の古いまちの面影を残している地域となっています。

そのため、木密地域の中でも特に危険な地域となっており、東京都による調査では、東京都5,177町丁目の内、建物倒壊危険度は、京島2丁目が1位、京島3丁目が2位。火災危険度は、京島2丁目が2位、京島3丁目が9位となっています。(東京都 2018年)

関東大震災の際にたまたま焼けなかった町であることから考えれば、もし、関東大震災と同程度の地震が起きた場合には、関東大震災と同様の死因が多いと考えれます。しかし、現在この街では、火災の際に避難する大規模な避難所がいくつか設けられているため、当時のように多くの人が広場で焼け死ぬことはないと思います。

どちらかというと、阪神・淡路大震災のように、建物や家具の下敷きになり死ぬことが多いのでは、と考えられます。そして、木密地域であることから、阪神・淡路大震災の際でも長田(ながた)区で火災があり亡くなった方がいたように、倒壊した建物に閉じ込められたまま火災によって死ぬ人がある程度あるではないでしょうか。

かなや設計 環境建築家 金谷直政

2021.10.30