地震が起きた時に、どのような理由で死に至るか、想像したことがあるでしょうか。イメージとしては、地震が起きて建物の下敷きになり死ぬ。というものではないでしょうか。
私もそうでしたが、こういうイメージを持たれる方が多いと思います。しかし、実際の地震のときの死因は、そうとばかりとは言えないようです。
記録が残っている震災での調査結果によると、
東日本大震災では溺死が92%、圧死・損傷死等が4%
関東大震災では火災による死者が87%、住宅全壊による死者が10%
阪神・淡路大震災では建物倒壊による頭部損傷・内臓損傷・頸部損傷・窒息・外傷性ショック等が83%、焼死が12%
です。
この調査結果によると、地震によって、主な死因は全く違っていることがわかります。
阪神・淡路大震災と関東大震災はいづれも都市型の直下型の地震ですが、主な死因が違っています。これは、震災時の建物や町の違いによるものと考えられます。関東大震災の頃は、まだ平屋の木造建物が多いため建物が崩れて圧死することは少なく、火災により亡くなった方が多かったようです。当時多くの死者が出た東京の下町エリアでは、火から逃げるように広場に集まり、その広場に集った荷物や人が燃えることで多くの死者が出たと言われています。今は、震災による慰霊堂がある両国の横網公園では43,000人が避難して38,000人が焼け死んだと言われています。
京島で大地震が起きた場合の死因は?
私が住む、東京の典型的な下町地域である墨田区の京島地区は、木密地域と言われ、未だに木造建物が密集して残る地域です。
この地域は、関東大震災の時にも東京の大空襲の時も奇跡的に焼けなかった地域であることから、大正末期の古いまちの面影を残している地域となっています。
そのため、木密地域の中でも特に危険な地域となっており、東京都による調査では、東京都5,177町丁目の内、建物倒壊危険度は、京島2丁目が1位、京島3丁目が2位。火災危険度は、京島2丁目が2位、京島3丁目が9位となっています。(東京都 2018年)
関東大震災の際にたまたま焼けなかった町であることから考えれば、もし、関東大震災と同程度の地震が起きた場合には、関東大震災と同様の死因が多いと考えれます。しかし、現在この街では、火災の際に避難する大規模な避難所がいくつか設けられているため、当時のように多くの人が広場で焼け死ぬことはないと思います。
どちらかというと、阪神・淡路大震災のように、建物や家具の下敷きになり死ぬことが多いのでは、と考えられます。そして、木密地域であることから、阪神・淡路大震災の際でも長田(ながた)区で火災があり亡くなった方がいたように、倒壊した建物に閉じ込められたまま火災によって死ぬ人がある程度あるではないでしょうか。
かなや設計 環境建築家 金谷直政
2021.10.30