ちょい旅 ジョンソンタウン

秋というよりも冬の入り口の休日、前から見てみたいと思っていたジョンソンタウンに行ってみました。

ジョンソンタウンとは、旧米軍ジョンソン基地にあった住宅をそのまま残して賃貸住宅にしている街です。

同じ形の平屋の木造住宅が多く残る地域で、外壁は下見板張りに白っぽいペンキを塗ったものがオリジナルかと思いますが、比較的新しい建材を使って下見板張り風にしている建物もみられます。

平屋の切り妻屋根の外観で連続性を出し統一感を持たせているものや、下見板を使うことで調和を持たせているものなど、外観にはある程度、意匠上の幅はありますが、イメージとしては、アメリカの郊外に建つ庶民の家という感じが、とても懐かしくもあり、心地よいです。

住宅として使われている建物がある一方、かなりの建物が、雑貨屋、アクセサリーショップ、家具屋、古本屋、セレクトショップ、エスニック料理、ハワイ料理、バーなど、アメリカっぽい(?)イメージの店がいくつも営業しています。中には餃子屋や、カレー屋、中華雑貨などアジアンな店もありました。地図を載せてます。番号が付いているところが店舗のようです。

どんなだろう?という、はやる気持ちを抑え、まずは、地図で全体像を頭に入れ、町の規模感をつかんでまち歩き開始します。目に心地よく映る景色は、やはり、同じような外観の平屋のシルエット。屋根の勾配が揃っていて、軒も低いため親しみを感じます。

単純な平屋の外観にも関わらず、豊かな感じを受けるのは、たぶん、バルコニーなどの室内と屋外の中間的なスペースが通りに向けて用意されているからなのでしょう。こういうトコロに住人達が思い思いに、緑や家具を置くと、街並みに一気に表情が出てきます。建物を使っている人の性格や人柄が伝わってくるから不思議ですね。

センス良く手入れされているバルコニー、どんな人が住んでいるのだろう?

例えば、植えている植物一つとっても、鮮やかな花の色や、大柄な葉っぱの雰囲気になんだかアメリカンを感じます。これが東京の下町であれば、小さな花や野草のような緑を愛でていていて和のテイストになってきます。

軒先を飾る緑を通して、建物に住む人の性格があらわれる気がします。

さて、建物一つ一つの表情もさることながら、ここが魅力的な理由の一つは、塀がないことではないでしょうか?塀がないことで、家と家の間が単なる家のスキマではなく、通り抜けの空間になってきます。通り抜けの空間になることで、裏とか表とかがなくなり、裏も表も手入れされた街の一部になってきます。

↑建物と建物のスキマにわずかな歩行スペースがあります。ほんと人が1人やっと歩くくらいの幅しかないですが、楽しげな歩行空間になっています。もう少し近づいてみると、ちょっとした置物などがあり、楽しげな雰囲気を感じます。

サボテンから水が流れる楽しい置物が路地に誘う!

建物と建物の間のスキマ。こう言う場所が面白い!道路に面する側は、その家の正面、外向きの顔ですが、建物と建物のスキマは、正面とは違う、お隣さんとの壁の間に生じたプライベートな場所になります。食事をする場所があったり静かに寛ぐ場所があったり、しています。下の写真では、右側の家の寛ぎ空間が見えます。左側の家はこちら側の壁にはほとんど窓がないことから、ここのスキマは、右側の家のためにあるようです。

細い路地でもあり、家の裏庭dもある建物のスキマ

ちょい旅では、食べ物を食べるのも楽しみの一つ。アメリカンな雰囲気の中で食べるランチはどんなものが良いかな?と、迷うのも、また楽しいです。テラス席がある気持ちの良いお店、ハワイ風の食事をだすお店、個性のある街は食事をするところも個性的なお店ばかり。

入ったのは、こんなお店。天井は屋根の裏がそのまま天井になっており、広がりがあって心地よい感じです。もちろん米軍住宅だけあって、小屋組はトラス構造となっています。トラス全体が合成梁になっているため、部材一つ一つは細い材料を使っています。壁の構造は見えませんでしたが、ツーバイフォーなのでしょうか?

トラスの小屋組を表している室内

頼んだのはメキシカンプレート。ドリンク付きで`1320円でした。ボリュームたっぷりで、おいしかったです。

お腹を満たしたところで、また街歩き、いろんな店を覗いてみます。下の写真からの店は、カリモクの家具を扱っているインテリアのセレクトショップ。カリモクブランドの普遍的なデザインの椅子が並んでいます。座ると流石、カリモクの家具、無駄のないフォルムなのに心地よく体を支えてくれます。「欲しいな〜」という気持ちはさておき、天井は先程、お昼を食べたお店と同様、屋根がそのまま天井になっています。仕上げは、合板のナチュラルな木のイメージで仕上げられています。シンプルな内部空間と、シンプルなカリモクの家具のフォルムがシンクロして心地よいです。

その他、さまざまな雑貨店などをみて、帰路につきます。帰り道の道すがら、気持ちのよい外部空間を見つけたので、ご覧ください。

曲がり屋の建物は外部空間が心地よい
妻側の窓の緑が映える
シンプルな妻壁に樹木のシルエットが浮かび上がる
スズナリの柚子
店舗ではない住居が連なっている
住居のバルコニー。物語が始まりそう
建物の隙間の路地にアーチがかかる
多分、後でできた日本の在来工法の2階建てだが、下見板ばりにするだけで馴染んでいる

かなや設計 環境建築家 金谷直政

2021.11.21 車で往復 160km 8時間

京島の震災シミュレーション

もし、関東大震災級の地震が起こったら、京島はどうなるのでしょう?

前回のブログでは、現代のける都市の直下型地震ということから、阪神・淡路大震災を参考に、約8割(83%)の人が頭部損傷・内臓損傷・頚部損傷・窒息・外相性ショック等で死ぬだろうと考えられます。

つまりほとんどの人が建物や家具の下敷きとなって亡くなるようです。震災のイメージとして、関東大震災において多くの人が焼死したことや、阪神・淡路大震災の際の映像で木造の建物が燃えていた映像を見た記憶から、火災による焼死のイメージが大きいかもしれませんが、現代の都市部においては震災時の死因のほとんどは、建物や家具の下敷きになって死ぬことになります。

2階建ての建物と、3階建ての建物の場合の倒壊の様子がわかる映像がありますので、ご覧ください。

これは、神戸のEディフェンスという政府の実験施設において、大きな床の上に実際の建物を再現し、巨大地震と同じ揺れを再現した実験になります。

2階床に押しつぶされる?!

まずは、2階建ての建物の倒壊の様子です。この映像の右側の建物が、昭和56年以前の基準で建てられた建物です。左は、同じ建物を若干補強したものになります。

この映像を見て、自分が1階にいた時のことを想像してみてください。1階部分が、あっという間に崩れています。「地震が来たら机やテーブルの下に入りなさい」と言われ、そのように行動したとしても机の上に建物の2階部分が崩れてきて、もろともに押しつぶされることになってしまいます。

逃げる間もなく、建物の下敷きになってしまいます。運よく頭部の損傷を免れ一命をとりとめていた場合でも、胸部が圧迫され呼吸ができなく次第に窒息死すると言われています。

また、窒息しなかった場合でも、救助に来てくれる人がいるとは限りません。あちこちで倒壊した建物に阻まれ救助隊はなかなか来てくれないでしょうし、他の場所でも同じように救助を待つ人の救助の順番を待たなければ助けてもらうことはできないのです。

そうこうしているうちに、震災後に発生した火災による炎がせまり、焼死することになるのです。阪神・淡路大震災の際には、死者行方不明者6434名のうち12.8%が焼死と言われています。約800人の方はそのようにして亡くなったのでしょう。

3階建ての場合の実験も行っていますので、ご覧ください。

やはり、1階がつぶれています。地面に対して2階の床が平行に迫ってくるので1階と2階の床に挟まれて挟まれると想像できるでしょう。

災害の被害が想定できれば、その対策は、どうすれば良いのでしょうか?

有効な方法の一つは、建物の耐震性を高めることです。Eディフェンスの実験で崩れている建物は、耐震性が弱いから崩れているのです。

安心な耐震レベルは耐震等級2か3!

では、どの程度の耐震性であれば安全なのでしょうか?一応安全と言われているのは、現行の建築基準法のレベルと言えますが、これは耐震等級1というレベルです。

しかし、熊本地震では、このレベルの建物でも倒壊しています。たとえ倒壊しなかったとしても、大破や中破など大きな被害を受けている事例は多く、その後住み続けることは困難になっています。

必要な耐震のレベルは耐震等級2、本当に安心なのは耐震等級3になります。

かなや設計 環境建築家 金谷直政
2021.11.13

大きな地震の際の死因は?

地震が起きた時に、どのような理由で死に至るか、想像したことがあるでしょうか。イメージとしては、地震が起きて建物の下敷きになり死ぬ。というものではないでしょうか。

私もそうでしたが、こういうイメージを持たれる方が多いと思います。しかし、実際の地震のときの死因は、そうとばかりとは言えないようです。

記録が残っている震災での調査結果によると、

東日本大震災では溺死が92%、圧死・損傷死等が4%

関東大震災では火災による死者が87%、住宅全壊による死者が10%

阪神・淡路大震災では建物倒壊による頭部損傷・内臓損傷・頸部損傷・窒息・外傷性ショック等が83%、焼死が12%

です。

大震災による犠牲者の死因割合(東北大学災害科学国際研究所)

この調査結果によると、地震によって、主な死因は全く違っていることがわかります。

阪神・淡路大震災と関東大震災はいづれも都市型の直下型の地震ですが、主な死因が違っています。これは、震災時の建物や町の違いによるものと考えられます。関東大震災の頃は、まだ平屋の木造建物が多いため建物が崩れて圧死することは少なく、火災により亡くなった方が多かったようです。当時多くの死者が出た東京の下町エリアでは、火から逃げるように広場に集まり、その広場に集った荷物や人が燃えることで多くの死者が出たと言われています。今は、震災による慰霊堂がある両国の横網公園では43,000人が避難して38,000人が焼け死んだと言われています。

京島で大地震が起きた場合の死因は?

私が住む、東京の典型的な下町地域である墨田区の京島地区は、木密地域と言われ、未だに木造建物が密集して残る地域です。

この地域は、関東大震災の時にも東京の大空襲の時も奇跡的に焼けなかった地域であることから、大正末期の古いまちの面影を残している地域となっています。

そのため、木密地域の中でも特に危険な地域となっており、東京都による調査では、東京都5,177町丁目の内、建物倒壊危険度は、京島2丁目が1位、京島3丁目が2位。火災危険度は、京島2丁目が2位、京島3丁目が9位となっています。(東京都 2018年)

関東大震災の際にたまたま焼けなかった町であることから考えれば、もし、関東大震災と同程度の地震が起きた場合には、関東大震災と同様の死因が多いと考えれます。しかし、現在この街では、火災の際に避難する大規模な避難所がいくつか設けられているため、当時のように多くの人が広場で焼け死ぬことはないと思います。

どちらかというと、阪神・淡路大震災のように、建物や家具の下敷きになり死ぬことが多いのでは、と考えられます。そして、木密地域であることから、阪神・淡路大震災の際でも長田(ながた)区で火災があり亡くなった方がいたように、倒壊した建物に閉じ込められたまま火災によって死ぬ人がある程度あるではないでしょうか。

かなや設計 環境建築家 金谷直政

2021.10.30

今考えたい災害の複合化と避難所の感染リスク

避難所が、決して安全ではないことを、コロナウィルスの被害から考えてみたいと思います。災害時に、多くの人たちが体育館などに集まり、床に寝泊まりすることは、

  • 狭い空間で話をしたり、くしゃみをすることで起こる飛沫感染。
  • 床に座って過ごすことによって、床に落ちた菌やウィルスを吸い込みやすくなることによる感染。
  • トイレのドアノブ、水栓などを大勢の人が触れることで起こる接触感染
  • 夏であれば、密閉空間でエアコンによる空気の対流から起こるエアロゾル感染
  • 冬であれば、やはり寒さのため換気を少なくするためにおこる空気感染

など、あらゆる感染の見本市のような状況が、起こることが想像されます。

群発する地震、迫りくる火災、暴風雨による水害から逃れ、命を守るために避難所に避難しますが、こういった行動は、決して望ましい避難行動ではありません。

災害が起こってからできることには限界があることは。人間の健康について想像してみるとわかりやすいでしょう。

普段から、大酒を飲み、たばこを吸い、暴飲暴食、運動不足などの不摂生な生活をしていれば、いつかは脳梗塞、心疾患、糖尿病などの生活習慣棒にかかります。そうなってから、病院に駆け込んでも手遅れなのです。健康を維持するためには病気になる前から予防する他ありません。対処療法ではなく予防医学が必要なのです。

災害に対しての予防医学は、耐震性があり、火災に強く、水害でも垂直避難ができるシェルターを用意することです。シェルターを用意するといっても、特別なものをつくるというわけではありません。

普段の住環境をシェルターとして整備しておくのです。住んでいるところ、働いているところに籠城することで、安全な避難が可能になるのです。

  • 耐震性については、新耐震基準以上の構造
  • 火災に対しては、準耐火構造以上になるよう建材を使う
  • 水害に対しては、ハザードマップの浸水高さ以上の階を設ける

という対応で可能だと思います。耐震性、耐火性については、建築基準法でも定められているので新築の建物では問題ないと思いますが、水害に対しては、法律で決められているわけではありません。

法律で決められていないから対策をしなくて良いということでは、暴飲暴食で平気な顔をして生きているのと同じです。自分だけではなく大切な家族の命を守るためには、法律で定められていることだけではダメなのです。

こういったことは非常に大切なことなのですが誰も教えてはくれません。東日本大震災の時も、原発がメルトダウンしたのは、水が原因でした。津波が、どの高さまで来るのかという簡単な備えについて、国や電力会社、大学の偉い先生方が、何もできなかったことを目の当たりにしたのは記憶に新しいと思います。

大切な家族の命を守るためには、考えられる災害に対して、あらかじめ備えておくという発想が必要なのではないでしょうか。

かなや設計 環境建築家 金谷直政

複合する災害から身を守ること

町内にマスクを配布

昨年は台風による被害が日本全国を脅かしました。特に台風19号は、首都東京を直撃し、全国で死者行方不明者40名という甚大な被害をもたらしました。

しかし、台風の被害起きる前は、南海トラフを震源とする巨大地震、または、関東周辺に今後30年以内に70%の確率で起こる関東大震災、等の地震による防災対策に躍起でした。

そして、今年は、今までとは全く違ったコロナウィルスによる災害?これは災害と言えるのか私自身わかりませんが、外部から襲ってくる脅威ということでは災害と言ってもいいのかもしれません。

こういった災害は、起こること自体が稀なため、複数の災害が同時に起こることはまず無いという前提で、防災対策を考えられています。巨大地震と台風が同時に起こることはほぼないということです。

しかし、現在猛威を振るっているコロナウィルスについては、社会を構成する私たち人間の中に潜んでいたものが、密集した環境で過ごすことで一気に勢力を増し、大きな災害となることから、いままで警戒していた災害とは全く違った供えが必要となります。地震、台風などの災害に備え避難をした避難先が感染を促進する場所になりうるのです。

前回のブログ「台風19号(2019年)、墨田区京島の避難の様子」で避難の様子を書きましたが、250人が避難した近くの小学校の体育館では、コロナ禍では推奨されない「三密」状態が生まれていました。

非常時だから仕方がない、ということも言えるのかもしれませんが、毎年、非常事態が起こるご時世、避難することが恒例行事になりつつあります。警戒レベル3でも予防的に非難することが推奨され、命を守るために密集することがしばしば起こりそうです。

しかし、命を守るために避難所に密集することで、ウィルスへの感染リスクが高まることを考えると、避難の頻度も最小限にすることを本気で考えなければならないのではないでしょうか?

台風19号による死者行方不明者、40人に対して、コロナウィルスによる死者は、既にその数十倍にもなっています。

発生した災害に対処療法的に、対策を取ることではなく、避難所での感染拡大をいかに防ぐか考えなければなりません。

2020.6.8

かなや設計 環境建築家 金谷直政

台風19号(2019年)、墨田区京島での避難の様子

避難所の様子(2019年_墨田区)

昨年(2019年)の台風19号の際には、各地で避難勧告が発令されました。

私の住む墨田区では、2019年10月12日12時55分に警戒レベル3が、そして、約6時間後の18時40分には警戒レベル4の避難勧告が発令されました。

警戒レベル3、4とはどういったものなのでしょうか?

「警戒レベル3」は、高齢者等の避難に時間を要する人は避難。

「警戒レベル4」は、全員が安全な場所へ避難。

因みに「警戒レベル5」は既に災害が発生している状況になります。

「警戒レベル」チラシ(内閣府・消防庁)

「警戒レベル3」が発令されたときには、まだ、雨もさほど降っておらず、風もそれほど強くありませんでした。

私の住む町会を含む地域では、近くの小学校が避難所として開設されましたが、防災無線の音が不明瞭で、内容が聞き取れなかったため、町会の役員が、町会全戸に対して、対面か、インターホンで、警戒レベルの説明と、避難所が開設されたことを伝えて回りました。

ハザードマップでは、この地域は、地面から3~5mの範囲は水没する地域となっています。5mまで水没するということは、通常の2階建ての家であれば、溺れてしまうことになります。

あたりは、木造の古い家が密集している木密地域と言われ、2階建てのの家が大半で、そこに住んでいるのは高齢者が多くなっています。

緊急事態なので、町会費を払っている人も、払っていない人に対しても、アナウンスして回りました。

暴風雨を予感させるような強めの風が吹く中、今まで見たこともない住民も不安そうにドアを開け、「どうしたら良いでしょう?」と顔を出してきました。

また、後で、近所の方に聞いてわかったことですが、訪ねて回った家の中には、住んでいるはずなのに返答がない家もありました。その家は、電動車いすを使ってくらしている高齢の男性が住んでいるのですが、たぶん、もう死を覚悟して家の奥であきらめていたのではないでしょうか?

その後、近くの小学校には約250人が避難をしましたが、レベル4の避難勧告が出たこともあり、地域の住人が大勢詰めかけ、避難所の収容人数がいっぱいになったことから、地域の防災士が、区に進言して、近くの小学校も避難所として開放されました。

幸いにも台風の勢いが弱まったことから日をまたいだあたりから避難した人も自宅に戻り、翌朝まで避難所で過ごした方は十数人でした。

今回は、墨田区での被害は大きくありませんでしたが、全国での被害は甚大でした。「観測史上初めて」とか、「何十年に一度の被害」が、一年のうちに何度も起きるという異常事態が毎年世界各地で起こり始めるのが当たり前になっています。

「未知の災害に対して、政府や国際機関が、予め対応策を取ってくれる」というのは、通用しなくなってきています。それは、現在進行中のコロナ禍を目の当たりにすることで、誰の目にも明らかになったと思います。

私達は、未知の災害に対して、自分の頭で考えて、一人ひとりが対策を考えなければならないのではないでしょうか。

2020.6.8

かなや設計 環境建築家 金谷直政

ステイホーム応援!墨田区京島三丁目限定「キラキラおつかい」

「宅配」ではなく「おつかい」

ステイホームが長びいていますが、地元の好きなものを届けてもらう買い物代行「キラキラおつかい」は、いかがでしょう?

この試み、実は、コロナウィルスの影響の前から、地域の商店街の物を、地域の人に届けることはできないだろうか?ということをずっと前から考えていたのをこの機会に試みたものです。

私が住んでいる墨田区京島には、大正の末から続いてて、今も夕飯時などは買い物客で活気がでてくるような地元の商店街があるんです。自分がここに住んでいるのもこの商店街が気に入っているからだといってもいいくらいの魅力があるんです。

そんな、地域の財産ともいえる商店街、いつまでも賑やかで残っていって欲しいとズーっと思っています。

自分の楽しみ方を紹介すると、お気に入りの総菜やさんの総菜を買って、肴の刺身やお酒を買って、デザートのシャーベットを買って、自宅で軽く飲んだり、家でちょっとした宴会をするのが楽しいんです。

昨年は、200人近い宴会のアルコール、食材のほとんどを地元の商店で調達することができました。ほんともう、これはちょっとしたケータリングサービスの規模ですよね。しかもとてもリーズナブルに(^o^)

こういう楽しみをFAX一枚、もしくはスマホでオーダーするだけで実現できる素敵な仕組みを目指しています。

そんな、楽しみかたをもっと手軽に、この街を知らない方にも楽しんでもらいたいと思って「キラキラおつかい」を始めることにしました。

エリアは、京島三丁目の中にあるお店の物を買って、京島三丁目に住んでいる方に届けるというものです。

おつかいの流れを下記におきます。関心のある方は、おつかいをお使い下さい。

かなや設計 環境建築家 金谷直政